早坂有生のYALE

2016年にYale(イェール、エール)大学に学部生として入学した日本人、早坂有生のブログです。大学での出来事やアメリカ大学出願のことなどについて書いていきます。ご質問、ご要望、ご連絡は記事へのコメント(非公開設定です)にお願いします。

Response to 『I Was Nineteen』

ドイツ映画のセミナーでは、毎週一本映画を観て、それに関するリーディングをし、1ページのレスポンスを書き、それらを元に週1回の2時間の授業でその映画についてディスカッションします。ドイツ映画史の中で重要であったり国際的な評価が高かったりする映画でも、日本名で検索するとほとんど何も情報が出てこないことが多く、この授業を取っていなかったら見ることはなかったであろう映画をたくさん観られるので嬉しいです。また、filmの授業ということで、映画の見方についても学ぶことがたくさんあり、特にfilm majorの学生たちのディスカッションでの意見はとても面白いです。ということで、今回は授業で扱った映画の一つを例に、僕がレスポンスでどのようなことを書いたのかご紹介したいと思います。

映画は東ドイツで1968年に製作された I Was Nineteen という、幼い頃にソ連に両親とともに亡命しソ連軍としてドイツ軍に降伏を呼びかける仕事をしていた少年が、終戦間際のソ連のドイツ進行とともにドイツに帰ってくる様子を描くという、原作者・監督の実体験を元にした話です。
内容から推測されるように、テーマとしては主人公のドイツ人としてのアイデンティティ、さらにはこの映画の示す「ドイツ人」のアイデンティティとは何か、という点が重要になってきます。しかし、映画全体のストーリーや、映画を通じてのキャラクターの描かれ方全体に注目していては1ページのレスポンスには収まりません。最初の数週間は僕はこの点に苦労していて、どのように映画のほんの一部分のみを切り取って映画全体の主張を議論すれば良いのかわかりませんでした。まだ理解できたとは言えませんが、この映画についてのレスポンスで少し掴めたかなという感じです。
映画中で主人公は何度も他のキャラクターに"Are you German?"と問われるのですが、毎回無視して答えません。しかし映画の冒頭と最後の2回、自らの口で"I'm a German."というシーンがあります。その2つのシーンを比較することで何か主張を見出すことにしました。
↓1枚目が映画冒頭で主人公がスピーカーを通してドイツ兵に投降を呼びかける中で言ったシーン。2枚目がラスト、主人公がトラックの荷台に乗って道を登っていき、主人公が務めるナレーターが言ったシーン。
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比較としては、フレームに映っているものについてのvisual analysis、音響、ストーリーとしてのコンテクスト、などが考えられます。例えば、1枚目は季節としては冬あたりで、裸の木々、禿げた山、靄のかかった空、自殺した人が乗っている筏など、生の気配がありません。それに対し、2枚目では青々とした草、戦争を生き残った大勢のドイツ人、クリアな空など、生き生きとしています。音響に関して言えば、1枚目の"I'm a German"は主人公が実際に劇中で言っている音(diegetic)ですが、2枚目は劇中で発せられた音ではなくナレーターが言っています(indiegetic)。さらに、フレームの構成として、1枚目は湖、山、空と水平に区切られていて、観客から見てどこにもたどり着けず、画面内の動きもゆっくりと漂う筏だけです。それに対し2枚目では道が垂直に空に向かって伸び、人々が地面をしっかりと歩き、トラックがそれに沿って走っていくという動きがあります。

これらを総合すると、1枚目は戦中という過去の、固定され排除的なドイツ人という概念を表していて、主人公はこの概念の中に入る余地がないと思われます。しかし2枚目では、主人公は他のドイツ人たちとは違いトラックに乗っていますが、それでも確かな道を、ドイツ人たちの隣を垂直に登っていき、未来にいる語り手が"I'm a German"と言います。これは”ドイツ人”という概念がより包括的になり自分もドイツ人と言えるようになる未来がくることを監督が望んでいると考えられます。

若干無理やりな解釈かなとも思うのですが、1ページのレスポンスということで仕方ないですね。今まで特撮の映画は何回も見返してきましたが、このような、映画の中での対比、シンボル、技術的工夫などに注目したことはなかったので、そう言った意味で映画を見る際の新しい視点を勉強できているかなと思います。では!