早坂有生のYALE

2016年にYale(イェール、エール)大学に学部生として入学した日本人、早坂有生のブログです。大学での出来事やアメリカ大学出願のことなどについて書いていきます。ご質問、ご要望、ご連絡は記事へのコメント(非公開設定です)にお願いします。

Representing Disabilities: Ethnographic Playという選択肢

中間期間到来で、エッセイの締め切りや試験が迫っていますが、それを乗り越えればすぐに春休み(2週間!)です。さて、今週末は、演劇の公演の手伝いをしていました。Yaleでは有志の学生たちがやっているものから、Drama schoolやプロの役者が大学の大きな劇場施設で公演しているものまで、多種多様な演劇を観ることができますが、今回僕が関わっていたのは、教授たちが主導するプロジェクトでした。今学期履修している人権についての授業の、文化人類学の教授が書いた脚本を、演劇学の教授が演出し(2人ともポスドク&lecturer)、プロの役者を招いて公演を行いました。文化人類学では、現地で行ったフィールドワークを、通常ethnographyという、文章の形で世に出しますが、この教授は自身の、ロシアでの障がい者を対象にした研究をethnographic playという演劇にしました。Performance ethnographyというジャンルになるようですが、この選択肢を今まで聞いたことがなく、興味深かったので、雑用として参加させてもらいましたが、とても面白かったのでこの演劇について書きたいと思います。
↓劇のポスター
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劇は、6人の障害を持つ人の朗読劇によって構成されており、それぞれが文化人類学者(劇中には登場しない)とのインタビューの一部という設定で自身の経験について話します。それぞれのバックグラウンドや語る内容は様々で、バンドのボーカリストがロシアでの車椅子のアクセシビリティについて話したり、二児の母が子育てについて語ったり、一人暮らしを始める人がそれまでの経験を話したりなどです。

ここで当然疑問に思うのが、なぜ演劇なのか?という点です。Ethnographyとして、インタビューの様子や内容を文章にまとめたり、ドキュメンタリーを製作しインタビューした本人たちが実際に話す様子を映したりすることもできるはずで、そのような手法の方が一般的のように思います。文化人類学では、元来研究対象者のrepresentationの方法というのはかなり議論の的です。客観的にただ起きたこと、様子、話した内容を記すべきなのか、研究者の主観も入れるべきか、研究者が記す内容を勝手に選んでしまって良いのか、プライバシー保護のため名前や場所や日時等細かい内容を変更するのは許されるのか、など気をつける点はたくさんあります。演劇はそういった観点から言えば、実際の会話を研究者が演劇として通じる形に変え、それを演出家が演出し、役者たちが受け取って演技し、それを観客が観るという、かなり多くの人々の意思決定が対象者と観客の間に存在するので、フィールドワークをpresentする方法としては適さないように思えます。

しかし。今回教授に色々聞いたり、実際に劇を観て感じたのは、演劇は他のrepresentaiton手法にはない可能性を秘めているのではないかということでした。彼女が演劇という形態を選んだ一番の理由は、ロシアで障害自体が一種のパフォーマンスのような役目を果たしているからとのことです。障害を持つ人は、それを色々な形で周囲にパフォームします。それが演劇と似た行為なのではないかということです。その点で彼女がこだわっているのは、演劇の役者もできるだけ障害を持つ人を使うという条件で、実際今回の公演でも6人中5人は普段から車椅子を使っていたり、義足だったりなど何らかの障害を持つ役者を集めていました。

そして僕が感じた演劇という形式の利点は、研究対象者(をrepresentしている役者)を直に体感できるという点です。観客が、生身の人間と間近で直接関われるというのは、演劇にしかできないことだと思います。自身も障害を持っているプロの役者が、モノローグを読むのを直接見聞きすると、ロシアで教授がインタビューした人々に直に会えたような気がし、自身に与えた影響はその分大きかったと思います。
↓観客と舞台の距離はかなり近いです。
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この衝撃の価値をどう捉えるかというのは議論の余地となるところだとは思いますが(役者の演技が実際のインタビュー対象者の意図や様子と合致していなかったとしても良いのか?等)、障がい者という研究テーマだからこその演劇という選択という意味もわかった気がしました。

演劇の最後の挨拶で教授が言っていたのは、この演劇がいつかロシアの話だという点に注目されるようになってほしい、ということでした。現段階では、アメリカでも障がい者の話はあまり一般的でなく注目もされていないため、どうしても演劇の内容も障害というテーマに注目されがちです。障害よりロシアの現状という点に注目されるようになった時は、障害というテーマについて話し合うことが一般的になった証拠だ、そうなってほしい、というメッセージでした。

演劇の具体的な内容に関して言えば、教授の人権の授業と繋がる内容も多々あり、授業内容についても近日中お伝えできればと思います。では!