早坂有生のYALE

2016年にYale(イェール、エール)大学に学部生として入学した日本人、早坂有生のブログです。大学での出来事やアメリカ大学出願のことなどについて書いていきます。ご質問、ご要望、ご連絡は記事へのコメント(非公開設定です)にお願いします。

日本は難民を受け入れていない?周囲にはいないから関係…ない??

2017年、日本での難民認定申請者は2万人近かった中で、認定者は20人。毎年、日本の難民認定者の少なさは国内外で話題になります。日本の難民政策はどのようになっているのでしょうか?この2週間の春休み、難民に関連する研究の一環としてYaleの学生二人と日本に来て、難民支援に現場で携わる方々にインタビューを実施していました。認知者数や認定率だけ見るととても少ないように思いますが、日本社会・政治の現状を鑑みても少ないと言えるでしょうか。また、この数や率、結局は我々日本国民とは関係のない、遠い国から来た人々の問題と割り切れるでしょうか。日本における難民の定義、難民やそれに準ずる人々への支援、難民増加への障壁について、インタビューを通じて僕が感じたことも踏まえながら、考えてみたいと思います。難民の受け入れ人数を増やすかどうかという議論以前に、我々一般市民にできること、考えるべきことはあると僕は思います。

1. 日本における難民とは
よく話題になる、難民申請して認定されるごく少数の人々は、条約難民と呼ばれ、実は日本には他にも難民とされる人々がいます。具体的には、インドシナ難民と第三国定住難民です。この中で日本で一番古い歴史を持つのがインドシナ難民ボートピープルとも呼ばれ、カンボジアベトナムから逃れて来た人々で、政府は1979年に正式な受け入れを表明し、それ以降2006年の事業終了までに述べ1万人以上を受け入れました。

日本政府はその後1981年に国際条約の一つである難民の地位に関する条約(難民条約)に加入します。この条約の内容に則り承認される難民のことを条約難民と言います。法務省の入国管理局が申請者を審議し、難民の定義に当てはまると判断されると、認定されます。難民認定されなかった場合にも、場合によっては人道配慮による特別在留許可がおり、日本に合法的に在留することが可能にある場合があり、また、異議申し立てを行い、再度審査を受けることができます。

そして、2010年から試行が開始されその後正式な政策となったのが、第三国定住難民の受け入れです。これは、難民キャンプなど、自国から逃れ暮らしている人々の難民性をその現地で判断し、日本という第三国で定住させるというもので、外務省が管轄しており、年に30名を上限に、主にミャンマーの難民キャンプから受け入れています。

2. 難民、難民申請者への支援
難民の認定を受けると、基本的には日本国民と同様の状態となり、行政サービス等を受けられるようになります。それ以外に、現在の日本国内の難民への支援の主要な対象は、条約難民、条約難民申請者、第三国定住難民となっています。国の公的な支援としては、公益財団法人アジア福祉教育財団難民事業本部に委託する形で、条約難民及び第三国定住難民への研修プログラムとアフターケアの提供、また条約難民申請者への生活支援を行なっています。研修プログラムは、半年または一年で、プロの講師による日本語の授業(文化庁からの委託)、保険加入の方法・ゴミの出し方など様々な生活面に関してのプログラム(外務省からの委託)、そして就職支援(厚生労働省からの委託)を無償で提供しています。アフターケアは、各地にある窓口や電話、メールを通じて、研修プログラムを卒業し実際に日本で暮らし始めた難民の様々な相談に対処するというもので、地域の日本語教室や学習支援室の紹介から、病院への付き添い、書類の記入のヘルプなど多岐に渡ります。条約難民申請者への生活支援は、困窮している人々へのシェルターや食料の提供がメインとなります。

国以外では、民間企業による支援と、NGOや地域の団体などの市民社会による支援があります。難民を対象にしているもの、外国人、移民一般を対象にしているもの、どちらもあります。民間企業では、CSR(社会貢献活動)の一環として取り組んでいるところが多いようです。 市民社会による支援には、難民申請希望者への法的支援、難民申請中の人々への生活支援、難民認定者への学習支援、国への政策提言、日本社会への啓発活動などがあり、どれか一つを行なっているところもあれば、複数を行なっているところもあります。難民支援に関係する団体や協会はその数が少ないこともあり、繋がりが強いように感じました。実際、なんみんフォーラムJ-FUNなど、関係団体による支援ネットワークも作られています。

3. 難民増加への障壁
以上、難民になり得る人々への支援として何が提供されているのかを見て来ましたが、いかがでしょうか。一見、日本の第一〜第三セクターが一丸となり、どのカテゴリーに属する人々にも、支援を提供しているようにも思えます。しかし、国際社会からの難民受け入れの圧力がかなり強い中で、受け入れ人数が増えていないのは、現状に何かしら問題があるからです。ここからは難民認定のプロセスも含め支援の提供内容の問題点、そして提供者の抱える問題点を見ていきたいと思います。

支援内容についていちばんの問題点としてよく挙げられるのは、難民申請のプロセスが効果的でないという点と、難民認定者以外への支援が大変手薄だという点です。条約難民や第三国定住難民への国の支援は、国際的に見てもかなり手厚い内容になっています。しかし、特に条約難民にとっては、その支援を受けられるようになるには長い道のりが待っています。難民申請には、自分の難民性を証明するために様々な手続きや書類を用意する必要があり、さらに結果が出るまでに長い年月かかる(平均5~6年、長くて10年)一方で、上記の研修プログラムのような無償サポートは、人道配慮による特別残留許可を受けた人や難民申請中の人々には提供されません。また、申請後6ヶ月経つと就労資格が降りる現在のシステムでは、経済的理由から難民申請する人も多くなり、本当に難民の人々を早急に認定するのが難しくなっています。実際、近年の難民申請者の出身国上位はフィリピン、ベトナム等で、世界的に難民を生み出している国々出身の人はあまり多くはありません。

一方、支援を提供する国側にも、支援対象や内容を制限せざるを得ない理由があります。もともと外国人の定住に消極的という政治的性格ももちろんあるとは思いますが、同時に難民への公的な支援は税金から拠出しなければなりません。日本国民から徴収した税金を予算としている。これは、政治的にも倫理的にも、外国人を支援することにはかなり慎重にならざるを得ないことを意味します。この制約の中では、確実に難民と認められる者にのみ手厚い支援を提供するという政府の方針も致し方ないという風に見ることもできます。また、第三国定住難民の受け入れ人数増加も、その分事業に拠出する税金を元にした予算の増加を意味し、そう簡単に行えないということも理解できます。

難民支援に携わるNPOなど市民社会も問題を抱えています。資金と人手の問題です。寄付額が他国に比べ少ない日本では、NPOや他の支援機関は予算が少ない中での支援を余儀なくされ、結果支援の一部、例えば学習支援や生活相談をボランティアに頼らざるを得ない状況となっています。その中で、ボランティアの高齢化、難民のニーズに合わせた支援の難しさ(例えば共働きの難民にとって日本語教室に通えるのは日曜日のみの場合が多々あるが、日曜日にボランティアをしようという人は少ない)などの問題が出て来ています。


4. 我々ができること
上記のような問題点を見ると、ただ条約難民の受け入れ人数を根拠に政府を批判し、受け入れ人数を増やすべきというのはかなり無責任に思えます。また、日本社会がより外国人受け入れに対し寛容になれば全て解決するのかというと、そうでもないように思えます。一方、我々個人には難民認定のプロセスや基準を変える力はないし、誰しもがボランティアをする時間や寄付をする余裕があるわけでもありません。

結局、日本の難民問題は一般市民には関係ない問題なのか?僕はそうは思いません。国レベルでは、支援は我々が納めた税金(僕は消費税くらいしかないですが…)で行われています。つまり、国の予算のうち何がどのくらい何に使われるかというのは、日々自分が納める税金のうち何割が何に使われるのかということに結果的にはなるわけです。その中で、僕は自分の税金が昨今の汚職問題等、政治家・官僚に意味のない使われ方をするくらいなら、より多くの困窮している人々を助けることに使って欲しいと切に思います。難民申請者の中には、政府の難民認定基準に満たないにしても、国外に脱出せざるを得ず、たまたま日本に来られることになって来て、結果困窮し難民支援のNGOが入っているビルの床で寝泊まりせざるを得ないような人もいます。税金の使い道としてふさわしくないという理由もありそのような人々は公的支援を受けられない一方、国会では毎日のように森友問題について議論し、(議論自体は重要なのだとしても)そこに参加する人々やその運営に自分の税金が使われている。こう考えるだけでも、何か違うのではないでしょうか。

市民社会レベルでも、我々のできることはあると思います。そもそも市民社会という言葉は、欧米ではNGONPOなど、政府でも民間の営利企業でもない第三セクターという意味で使われることが多いですが、その形は国や地域によって異なって良いというのが最近の通説です。日本では、地域社会というシステムが鍵になるのではないかと僕は思います。多数に手薄にという公的支援システムの中でも難民が日本で生活していける、という状態にならない限り、現在の少数に手厚にというシステムを変えても数の変化以上の意味は生まれないでしょう。そこで重要になるのは、いかに地域の中で助け合えるかだと思います。別に、NGOでボランティアをしたり寄付をしたりせずとも、近所に引っ越して来た難民や外国人の人と繋がりを持ち、わからないことを教えてあげたり、顔を見かけたら日本語で少し話したりと、それだけでも違うのではないかと僕は思います。

今回お会いした方々は、皆どうしたらよりこの世の中がよくなるかということを考え、それを例え無償でも行動に移している方々でした。そういう方々とたくさんお話しすると、その分税金を私的目的に流用するような人々が権力を握り得をするこの世の中の不条理も身近に感じます。僕にできるのは、自分や周囲の人々が後者に属さないよう努力することくらいかもしれませんが、それができていればこの世の中はもっと良いものになるのではないかとも思います。