早坂有生のYALE

2016年にYale(イェール、エール)大学に学部生として入学した日本人、早坂有生のブログです。大学での出来事やアメリカ大学出願のことなどについて書いていきます。ご質問、ご要望、ご連絡は記事へのコメント(非公開設定です)にお願いします。

良い社会学の定理とは?

マルクスデュルケームフーコーなど歴史的に有名な社会学者、また彼らが提唱した社会学の定理 (social theory)「社会主義」「分業論」「規律訓練型社会」等は今尚様々な分野、学者に影響を与えています。しかし、社会学者、社会学の定理は数え切れないほど存在してきたはずです。なぜこのように、いくつかの人物、定理だけが今も重要視されているのでしょう。「良い社会学の定理」の定義とは何なのでしょうか。

物理や数学など理系の場合、定理が正しいかどうかは基本的に証明できます。理論的に計算したり、または確率論的に議論することで正当性を定量的に示すことができます。社会学の定理はそのように正当性を証明することはできません。例えば、「世の中の95%以上の社会に当てはまる定理が正しい」というような証明方法は、現実的には使用できません。

そもそも社会学の定理とは何なのでしょう。一つの答えが、「因果関係を説明するもの (causal explanation)」です。〇〇によって△△が起きるという形、特に何か個人や機関の行動、思考が社会的なマクロの現象を引き起こす、という形が社会学の定理には多くあります。例えばフーコーは、政府などの権威による、「常に監視されているかもしれないと思わせるような形の権力」によって「多くの人々の行動が規律付けられている」という定理を提唱しています。

ここで難しいのは、社会現象は普通一つの要因のみに起因しないという点にあります。例えば、「多くの人々が規律に沿い盗みを働かない」という現象は、フーコーの定理によれば「警察に監視されていて捕まってしまうかもしれないという考えが人々の中で内面化されており盗もうという気が起こらない」ことが要因ですが、他にも「盗むより買った方が結果的に得られる利が大きいと人々が考える」「過去の経験から盗むのは良くないという判断が内在化している」など様々な要因が考えられます。物理学では、例えばボールが5秒で落下すればそれは重力による影響がどのくらいで、抵抗が…と説明出来ますが、社会の現象は社会、時、場所、人によって理由は異なります。

では、どのようにして因果関係の説明の正当性を判断するのでしょう。一つの方法は、文化人類学の研究などで一番実証されている説明を正しいとするというものです。例えば、警察組織などの監視組織が全く存在しないような社会においても盗みが起きなければ、フーコーの定理はその社会では成り立たないことになり、そのような社会の存在が多数確認されればフーコーの定理は正当性を失うかもしれません。しかし、この方法には限度があります。調べられる社会は少ないですし、西洋の研究者が対象とする社会は地域等の面で偏っていることが多いです。

第2の社会学の定理の正当性を判断する方法、それは、その定理を提唱している社会学者が自分の価値観やバイアスを吟味しているかを確認する、というものです。因果関係の説明には、必ず個人の価値観が入ります。ある現象に対し影響を与えられる力と責任があると思われるものが原因として選ばれるからです。例えばタバコから出火して火事になった場合、多くの人は「タバコの不始末(をした男)」が原因で「火事が起きた」と説明し、「タバコ周辺の酸素」が原因とは言わないでしょう。「タバコの不始末に気づかないほど彼を追い詰めていた企業」が原因だという人もいるかもしれません。個人主義的な価値観の人ならばタバコをきちんと始末しなかった男本人が原因だと考え、個人は無力だと考える人ならば企業が原因だと考えるでしょう。つまり、何が原因である事象が起きるという説明は、何にどのような力や責任があるのかという個人の考え方により、そこに絶対的な正解はないのです。

そこで因果関係の説明を提唱する社会学者がするべきことは、自分の価値観を理解し説明し、自分がなぜその原因を選んだのかを説明するということです。そうすることで、例えその学者と同様の価値観を持たない人であっても、その学者の価値観に従った上で果たして彼の因果関係の説明が正しいのか吟味することができます。

逆に言うと、ある説が正しいかどうか判断する際、自分の価値観を当てはめて批評しても正しい判断はできません。その説を唱えている人の生きてきた社会、価値観を考えることが必要です。当たり前のことですが、わかっていてもなかなか難しいです。では!