早坂有生のYALE

2016年にYale(イェール、エール)大学に学部生として入学した日本人、早坂有生のブログです。大学での出来事やアメリカ大学出願のことなどについて書いていきます。ご質問、ご要望、ご連絡は記事へのコメント(非公開設定です)にお願いします。

奴隷制と資本主義

授業や就活で忙しく、前回の投稿からだいぶ経ってしまいました。今回は履修している「人種と資本主義」のセミナーで学んでいることをご紹介したいと思います。かなり哲学的で理解できていないところもありますが、少しずつ人種と資本主義がどう結びついているのかわかってきました。アメリカの奴隷制がその一つの例です。

まずは奴隷制と人種の関係性。これは簡単に想像がつきそうです。アフリカからの奴隷と白人の移住者との主従関係と、白人ー黒人という人種の違い。しかし、この二つ、どちらが先に生まれた関係性なのでしょうか?つまり、元々黒人ー白人という人種の概念、黒人への差別意識があり、それが奴隷制に繋がったのでしょうか、それともまず奴隷制があり、それによって人種や人種差別という概念が生まれたのでしょうか?

答えは後者だと言われています。ヨーロッパにとって、元来アフリカはより進んだ文化を有している場所でした。6-7世紀くらいまではローマやギリシャ文化はエジプト等からの技術や文化に多大な影響を受けており、また中世のルネッサンス期においてもギリシャ・ローマ文化はアラビア語の文献を通して再興したのです。その後封建制から資本主義への移行に伴い貿易業が盛んになり、その一環として奴隷取引も増していく訳ですが、初めから黒人という概念や黒人への差別意識があった訳ではないと言われています。

「白人」という概念が生まれたのはさらに最近のことです。初めて黒人奴隷がアメリカに輸入されたのは1619年のことと言われていますが、その時点ではヨーロッパからも多くの移住労働者が「使用人」としてアメリカに来ており、ほぼ奴隷と同様の扱いを受けていました。つまり、ヨーロッパからの移住者=白人=皆平等という意識は当時は全くなかったのです。

アメリカにおいてヨーロッパ人=白人の概念が生まれたのはかなり最近、20世紀半ばのことです。例えば1920年頃の移民法では、アジア人の移住をほぼ全面的に禁止するとともに、ヨーロッパからの移民に対しても数的制限が設けられていました。特に東・南ヨーロッパからの移民は増加傾向にある一方、北ヨーロッパ人に比べて劣っているという認識があり、移民法では「1890年のアメリカ国民の出身国別割合に応じて各国からの移住者を制限する」という手法が取られました。まだ東・南ヨーロッパからの移民が少なかった頃の統計を用いることで、移住できる人の数を少なくしようとしたのです。その後ヨーロッパ系移民への制限は緩くなっていく一方、アジア人への制限は強まっていったことで段々と「白人」の概念が生まれていくのですが、重要なポイントは奴隷制の時代に「白人」の概念が明確にあった訳ではないということです。

従って、奴隷制が人種概念の形成を先行していたと言えます。では、奴隷制はどのように人種概念の形成に影響を与えたのでしょうか。そこで登場するのが資本主義です。先ほど書いたように、そもそも奴隷制が活発になったのはヨーロッパが封建制から資本主義に移行する時期でした。封建制の元では農民が自分の土地に定住し農業をするのが基本でしたが、人口増加に伴い土地が不足し、定住せず移動しながら物を売買することで利益を得る貿易商人が生まれたのです。こういった貿易商は、「資本を元に商品を生み出し、それを元により多くの資本を得る」という資本主義の原理によって富を築き、貿易の範囲は段々と広がっていき、やがてアフリカからの奴隷の貿易が盛んになります。

資本主義下での奴隷制度は、アフリカの奴隷にとって何を意味したのでしょう。資本主義の元では、商品や労働が抽象化されます。全く異なる物であっても何か共通の価値(交換価値)があり、それをお金を通じて交換することができます。例えば、5000円のぬいぐるみと4万円のベッドという、使用用途(使用価値)は全く異なる二つのものであっても、8個のぬいぐるみ=ベッドという式が成り立ち、これは何かこの二つの物に共通の価値があると我々が認識しているからです。同様に、労働に対しても、時給1000円の車の組み立て工と時給500円の縫製工は全く違う技術を要していますが、縫製工の労働に対する価値×2=車の組み立て工の労働に対する価値という式が成り立ち、これも何かこの二つの労働に共通の価値があると我々が認識しているからです。このように、市場の下で「商品」「労働」という概念が抽象化されるのが資本主義の特徴です。

アフリカからの奴隷は、「商品」でした。アフリカからアメリカに連れてこられた奴隷は将来の生産性を鑑みた値段をつけられ売買されます。「商品」という抽象化された交換価値を持った奴隷は、貿易商からすると人ではなく利益を得るための商品であり、貿易の過程でのコストをできるだけ削減しようとします。結果、奴隷は必要最低限の食料すら与えられず、餓死する者も続出します。さらに、例えアメリカで買われた後に逃げ出したとしても、奴隷市場はアメリカ全土に広がっており、見つかると捉えられ、また商品として売りに出されます。

このようにして、アメリカの奴隷市場は拡大して行き、全盛期には奴隷に対する投資は土地や工業、農業などへの投資を上回るほどになりました。つまり、初めからアフリカの奴隷=商品であり人ではないという考えが浸透していた訳ではなく、資本主義的な奴隷貿易が拡大する中でそういった考えが浸透していったのです。

アフリカからの奴隷とヨーロッパからの移民たちの主従関係は、1865年南北戦争を経てアメリカ全土で奴隷制が廃止されても続きました。法律上は市民権を獲得し、他の市民と同じ権利を有したアフリカ系アメリカ人でしたが、ヨーロッパ系の人々は資本主義的関係性(資本家ー労働者)を様々な方法で保持することで、アフリカ系アメリカ人が資本家階級に登りつめることを阻止したのです。アフリカ系アメリカ人は人であると認められはしたが、しかし自分たちとは異なる存在である。その考え方が人種という概念でした。よって、黒人差別という人種の概念を作り出す礎となったのが、資本主義下における奴隷制度だったのです。

ということで、ここまでの授業をまとめて書いてみました。奴隷制度については大学に入ってから様々な授業で度々学んでおり、入学以前の知識がどの程度あったのかはもう定かではありません。しかし、最初は「奴隷制」「人種」「資本主義」といった事柄が歴史的に当たり前のように起きたという認識で、その繋がりやその発生の理由があるとあまり考えたことがなかったように思います。その辺りを深く学ぶことができているのはやはりアメリカの大学ならではのことではないでしょうか。では!