早坂有生のYALE

2016年にYale(イェール、エール)大学に学部生として入学した日本人、早坂有生のブログです。大学での出来事やアメリカ大学出願のことなどについて書いていきます。ご質問、ご要望、ご連絡は記事へのコメント(非公開設定です)にお願いします。

それは、血を吐き続ける悲しいマラソン、或いは人類の歴史。

きっかけは思い返せばあの事件だった。いや、事件と呼べるほどのことでもないちょっとした出来事。誰かが、警察が俺の仲間を集団で殴っている様子をビデオで撮影してそれが出回った。もちろん俺は怒ったし仲間たちとも一時期その話題で持ちきりだった。だがよくあることだ。そのまま過ぎ去っていた可能性だってある。でも今回は違った。その数日後、今度は別の仲間が銃で撃たれた。しかも15歳の少女だ。何かが俺の中で変わって、それはもう止めることができなかった。当然殺人犯は逮捕されたが、裁判の結果はほぼ無罪。そしてあのビデオに映っていた警察官たち。テレビで中継された判決は二度と忘れられないだろう。近くのバーで仲間たち(と言っても今まで会ったことも話したこともなかったが)と見守る中、一人一人の名前が呼ばれ、判決が言い渡される。1人目、無罪。2人目、無罪。隣の人が無言で席を離れた。3人目、無罪。4人目、無罪。テレビの中では皆抱き合って笑っている。正義。頭の中に浮かんだこの二文字はだんだんと声を大きくして反響しだし、気づくと俺はこの言葉を反芻していた。正義。この国の正義。法治国家の下に存在するはずの正義。それがこの国にはないとしたら。俺たち自らが正義を下すしかない。仲間の苦しみをあいつらに、あいつらの仲間に思い知らせてやる。正義の声は、俺の中で、仲間の中で、この街の中で急激に高まった。

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人権は世界を救える?

全ての人間が生まれながらにして持つ権利、人権。今では至る所で人権侵害、人権尊重といった言葉を聞きます。今学期履修している文化人類学のセミナーでは、人権を一種の思想として捉え、それがどのようにこの世界での主流、共通言語になったかについて議論しています。生まれながらにして持っているということで、その歴史は古そうですが、実は人権が主流になったのは結構最近のことなのです。また、文化人類学と人権思想はもともと相性が悪かったのですが、最近はより多様なアプローチが登場し、文化人類学が貢献できることについても議論が拡大しています。人権思想を批判する声も最近高まっていますが、文化人類学的視点から、人権という考え方の可能性について考えてみたいと思います。

1948年の世界人権宣言が、人権という概念の発端だと言われていますが、その概念が実際に浸透し、使われだしたのは1970-80年代になってからのことです。そこには、アムネスティ・インターナショナル等の機関の運動もありますが、と同時に以前主流だった概念、イデオロギーが崩壊したという歴史的背景の影響も大きいと考えられています。具体的には、西洋の社会契約論的支配体制の失敗、そして社会主義国ソビエト連邦の崩壊です。どちらも政府が資源を再分配するという、政府と市民のトップダウンの関係の上に成り立つシステムでしたが、そこに綻びが生まれ、新しい正義の枠組みとして注目された概念の一つが人権思想でした。

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日本は難民を受け入れていない?周囲にはいないから関係…ない??

2017年、日本での難民認定申請者は2万人近かった中で、認定者は20人。毎年、日本の難民認定者の少なさは国内外で話題になります。日本の難民政策はどのようになっているのでしょうか?この2週間の春休み、難民に関連する研究の一環としてYaleの学生二人と日本に来て、難民支援に現場で携わる方々にインタビューを実施していました。認知者数や認定率だけ見るととても少ないように思いますが、日本社会・政治の現状を鑑みても少ないと言えるでしょうか。また、この数や率、結局は我々日本国民とは関係のない、遠い国から来た人々の問題と割り切れるでしょうか。日本における難民の定義、難民やそれに準ずる人々への支援、難民増加への障壁について、インタビューを通じて僕が感じたことも踏まえながら、考えてみたいと思います。難民の受け入れ人数を増やすかどうかという議論以前に、我々一般市民にできること、考えるべきことはあると僕は思います。

1. 日本における難民とは
よく話題になる、難民申請して認定されるごく少数の人々は、条約難民と呼ばれ、実は日本には他にも難民とされる人々がいます。具体的には、インドシナ難民と第三国定住難民です。この中で日本で一番古い歴史を持つのがインドシナ難民ボートピープルとも呼ばれ、カンボジアベトナムから逃れて来た人々で、政府は1979年に正式な受け入れを表明し、それ以降2006年の事業終了までに述べ1万人以上を受け入れました。

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Representing Disabilities: Ethnographic Playという選択肢

中間期間到来で、エッセイの締め切りや試験が迫っていますが、それを乗り越えればすぐに春休み(2週間!)です。さて、今週末は、演劇の公演の手伝いをしていました。Yaleでは有志の学生たちがやっているものから、Drama schoolやプロの役者が大学の大きな劇場施設で公演しているものまで、多種多様な演劇を観ることができますが、今回僕が関わっていたのは、教授たちが主導するプロジェクトでした。今学期履修している人権についての授業の、文化人類学の教授が書いた脚本を、演劇学の教授が演出し(2人ともポスドク&lecturer)、プロの役者を招いて公演を行いました。文化人類学では、現地で行ったフィールドワークを、通常ethnographyという、文章の形で世に出しますが、この教授は自身の、ロシアでの障がい者を対象にした研究をethnographic playという演劇にしました。Performance ethnographyというジャンルになるようですが、この選択肢を今まで聞いたことがなく、興味深かったので、雑用として参加させてもらいましたが、とても面白かったのでこの演劇について書きたいと思います。
↓劇のポスター
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"War on Terror"の終焉

イラクアフガニスタンについてのセミナーでは、両国の簡単な歴史とアメリカの侵略についてというパート1が終わり、より具体的な問題を扱う時期に入りました。その第一弾がテロリストグループ、ISとタリバンについてでした。このセミナーでは、学生全員15分のプレゼンテーションを学期中どこかで一度行うことになっていて、僕は今週を選びISについて発表しました。通常だと課題のリーディング(150ページ程)を読むだけで良いのですが、プレゼンの際はさらに自習して、課題図書に載ってないことも取り入れる必要があります。図書館でIS関連の本を借りて来たらルームメートに違う意味で心配されましたが、色々と知らなかったことも多かったので、プレゼンの内容についてご紹介したいと思います。

僕のポイントを一言で言うと、War on Terrorと言う考えはやめよう!です。War on Terrorは、アメリカで9.11以後よく使われるフレーズで、「テロとの戦い」を意味します。ここで問題なのは、戦うことではなく、「テロ」と言う言葉で、テロ組織全てを一括りにしていることです。ISやタリバンについて詳しく調べると、ISIS (イラクとシリアのIS)、アフガニスタンのIS、タリバンでその目的や戦略、対処法が全く違うということがわかります。本来様々な違いがあるのに、似たようなテロ行為を行うという特徴だけで一括りにしてしまうと、効果的な対処法を見失うだけでなく、不必要にテロリストグループ同士が結びつきやすくなるきっかけにもなってしまいます。

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