抑圧の象徴:ヒジャブ…???
中東、イスラム圏と聞いてよく想像するのがヒジャブ、両性の不平等、女性の抑圧といったイメージです。一方、そういった考えは西洋の価値観の押し付けに過ぎず、実際に中東に生きる女性はそうは思っていないという考えもよく聞きますね。実際のところ、どうなのでしょうか。ヨルダンでこの1週間見聞きしたことを踏まえ考えてみたいと思います。
↓よくあるイメージ。体が覆われるほど笑顔が消えていく被写体。
ヨルダンの首都、アンマンはいくつもの丘の上に街ができだんだんと広がっていった都市ですが、その分各丘によって雰囲気が全く異なります。古そうな家が立ち並んでいる丘があれば、ダウンタウンに見られるように家が入り乱れてごちゃごちゃしている丘、はたまた近代的な建物や高層ビルが多く建設されている丘など、ここは本当に一つの都市なのだろうかというくらいに違います。
街の雰囲気に伴い、住民の経済的・文化的状況も異なり、低所得者層が多く住むところ、富裕層の街、白人系外国人の多いところ、パレスチナ系の多いところ、シリア難民の多いところなど様々で、宗教的な面でもまちまちです。例えば、ダウンタウンに行った時は女性住民の多くは色とりどりのヒジャブをしていましたが、僕の今住んでいるあたりでは目以外の全身を黒で覆うタイプのニカブをしている女性が目立ちます。一方、富裕層の多い地区に行った時はノースリーブで髪も覆っていない人く、最初皆外国人かと思うくらいでした。
このような状況を見ていると、ヒジャブが女性を抑圧しているという印象は全く受けません。どのような格好をするかは少なくともある程度はその女性自身の選択で、そこには宗教的、文化的価値観や家族の影響が当然あるのでしょうが、だからと言って嫌嫌その服を着ている訳ではないのです。また、同じ都市の中に欧米人と同じような格好をしている人もたくさんいる以上、「我々が西洋の進んだ文化を伝え後進的な世界で抑圧されていることすら知らない女性たちを助ける!」というような論理も通じないことになります。
もちろん男女平等が完璧に成立している社会とは言えませんが、よくあるイメージとは全く違う現状がありました。今日話した、ヨルダン大学に通う女子学生が、「ヒジャブは自分のムスリムとしてのアイデンティティを示すために着用している。」と言っていたのが印象的でした。ヨルダンでは、難民問題、移民問題、LGBTQ、経済格差など様々な社会問題を実際に見聞きできると思うので、これからもいろいろ積極的に学んでいきたいと思います。では!