早坂有生のYALE

2016年にYale(イェール、エール)大学に学部生として入学した日本人、早坂有生のブログです。大学での出来事やアメリカ大学出願のことなどについて書いていきます。ご質問、ご要望、ご連絡は記事へのコメント(非公開設定です)にお願いします。

中国農村での五日間Part3

中国農村の高校でのサマープログラムでは、参加した大学生は高校生相手に授業をします。授業内容は完全に自由です。僕はHow to See this Worldという題名で、Yaleで学んだことを元にした授業をしました。授業と言っても、僕にはまだ教えられるほどの知識はなく、また中国語で知識を教えるのも大変なので、基本セミナー形式で生徒たちの意見を聞くことを重視しました。これにより、僕の準備の負担が減り、さらに中国農村の現状が知りたいという目的も達成されます。生徒たちがどのような考えを持っているか、簡単に紹介したいと思います。

僕の授業の目的は、自分と異なる考えや状況の人や事柄に面した際に客観的かつ多様な観点でそれを判断できる力を養うということで、MinorityとTraditionという二つの複テーマを元に、どのようにしたらその力を養えるのかについて、生徒たちと考えました。Minorityでは、まずMinorityの定義を考えます。例えば、アメリカの黒人はminority。では中国在住の外国人はどうか?中国の老人はどうか?中国の女性は?オタクは?学校の教師は?政府の人間は?いくつかのクラスで授業をしましたが、皆アメリカの黒人はminorityといい、その理由は少数だから。しかし、中国の老人はminorityではないという人が多いです。理由はたくさんいるから。では何%以下ならminorityと呼べると思う?そう聞くと皆答えに詰まります。そもそもminorityという単語の意味を知らない人も多く、その分定義には少数かどうか、という条件以外にも、権利があるかどうか、世の中に貢献しているかどうか、特別かどうか、と言った条件も上がり面白かったです。このminorityとは何か?という疑問は僕も先学期Minoritis in Japanを受講した際に抱き教授に聞きに言ったのですが、その時の答えは、人によって定義は違うからどの集団でもminorityになり得るよ、でした。つまり、minorityという定義自体にもその人の思想や文化が反映されると言えます。

次に、実際のminorityを例にその人に実際に会った時の対応を考えました。最初はsexual minorityについてです。例えば、今日転校生がクラスにやってきました。その子はトランスジェンダーです。という状況を提示します。こう言った時点で教室が少しざわつきます。この子についてどう思う?とまず聞くと、多くの人が自分と違うからとても奇怪だ、と言います。もしその子が告白してきたらどうする?そう聞くと、ある人はその子の思想を矯正したい、と言っていました。その子は男女どちらのトイレを使うべき?そう聞くと答えは割れます。もちろん、その子の状況や考えを尊重する、と発言する人もいます。しかし、具体的にどう尊重するか、どう対処するか、と言ったことはあまり考えつかないようです。

そこで今度は日本在住の中国人や中国系の方々の状況を次の例に挙げます。日本人には、日本人は中国人より優れていると思い中国人を差別する人がいる、中国の文化をバカにしてる、メディアは中国の批判ばかりしている、中国人が日本で君たちと同じような中国の教育を受けることはなかなか難しい、そのようなことを言うと、教室の雰囲気も少し変わり、この状況に対する意見を聞くと、改変するべきだ、と言う意見が多数です。どう改変できるか?と聞くと、日本人が中国の文化や状況、歴史を理解していないのが原因だから、教育や交流を通じてより理解してもらうようにしたい、と言うような意見が上がります。

そこでもう一度sexual minorityについて聞きます。すると、今度はよりsexual minorityについて学ぶ必要があると言った意見を言ってくれるようになります。アメリカの大学生的には、模範解答は、sexual orientationはその子のidentityの一部に過ぎず、それが自分違うと言う理由だけで奇怪に思うのはおかしい。告白されたらまずその子のsexual orientationについてよりよく理解するために質問や交流を重ね、その上で判断する。トイレはその子自身に決めさせるまたは両性どちらも使えるトイレを設置するべき。となるでしょうか。しかしこの模範解答も本当に正しいか、全員に当てはまるかはわかりません。結局、自分が正しいと思っていることが本当に正しい保証はどこにもありません。自分の常識の枠組みで考えるのではなく、まずはその常識がなぜ自分の中で常識になっているのか、それは本当にどの時代のどこの誰にとっても当たり前のことなのか、それを考え調べて欲しい、その想いが伝わっていたら良いと思う授業でした。